『殻割る音』という名の卵が孵るまで①
意気揚々と始めたブログが早くも滞った。
なにを書いたらいいのか。私に語れることがあるのか。誰に求められているのか。
こうしてキーボードを叩いている今もまだよくわからずにいる。
考えすぎて動けなくなる癖はなにをしていても付きまとう。
それでも始めてしまった手前、まずは好きなようにやってみればいいのでは? という結論には至った。二日がかりで。
難しく考えなくても、私にしか書けない物事もあるだろう。
『殻割る音』の裏話がその最たる例だ。
作者である私だけが知っている、作品の舞台裏。
けれど、なにもかも詳らかに披露してしまうのは、あまり気が進まないのが実のところだ。
あれもこれも種明かししてしまうのは、作中で表現しきれなかった未熟さを露呈するのと同じ気がしているから。
とはいえ、垂らし損ねたエッセンスを手元に留めておくのが惜しいと感じているのも事実だ。
それを残しておく場所に、このブログを使ってみてもいいのかもな、と思う。
中村汐里のデビュー作『殻割る音』が生まれた経緯について。
前回撫でる程度に触れたが、この小説は「日本おいしい小説大賞」という公募賞に応募した作品だった。
小学館が主催する、食をテーマとした小説を募る賞だ。私が応募したのは、創設されてすぐの第一回だった。
当時は中村汐里ではなく、深町汐というペンネームを用いていた。このペンネームはこのときの一度きりしか使われなかったのだが、その話についてはまた追って話したい。
このとき『殻割る音』は最終候補の四作品中に選出された。
最終候補に選ばれた方々とは、早々にTwitterの相互フォローを交わして親しくさせていただくこととなった。この話も、また別の機会にしようと思っている。
『殻割る音』は大賞受賞こそ逃したものの、受賞作の発表後しばらくして書籍化の話をいただいた。
正直、話の展開がうまく呑み込めずに大混乱した。
送られたメールの出処を何度も確認し、文面を何十回も読み返し、鳥でもここまで曲がらないと突っ込まれそうなほど首を傾げ続けていた。
「ほんとに?」と何十回言ったかわからない。
改稿を二度行い、ゲラに二度取り組み、出版社の公式発表をTwitterで確認し、装画イラストのラフを見せてもらい、文庫本の姿をした見本版が自宅に届いても、ずっと「ほんとに?」と言い続けていた。
打診から刊行までに十六ヵ月かかったが、そのあいだ常に状況を疑い続けていた。
私ひとりが見ている幻覚に、周りが合わせてくれているだけかもしれないとまで考えていた。わりと本気で。
幻覚ではないのだと理解したのは、刊行の日だった。
世界総ぐるみで私の妄言に付き合うはずがない、現場に行けばわかると思いながら、私は午前中から書店を三軒ハシゴした。
そうして市内でも大きめの書店で、新刊コーナーに私の名前が書かれた本が並んでいるのを確かに見た。
それを目の当たりにした私は棚の前で「ほんとだったんだ……」と呟いていた。
テンションが上がるというよりは、ぽかんとしてしまった。それまで一線を引いてギリギリ触れられないところにあった実感が、枷を解かれて一気に襲いかかってきた心地がして。
そのとき私の頭の中には、とんでもないことになってしまった、という思考がわずかによぎっていた。
ほんとに作家になっちゃったってこと? と、ようやく事態を理解したのだ。