枝折の径に花の萌ゆ

新人作家・中村汐里による雑記。

『殻割る音』という名の卵が孵るまで⑥

一日休みをいただいた。

今日からまた『殻割る音』の楽屋トークを再開する。

 

軸となる主人公たちの輪郭は決まった。

次に考えるべきは物語が繰り広げられる舞台だ。さて、彼女たちはどんな場所で暮らしているだろうか?

真っ先に思い浮かんだのは私自身が暮らしたことのある街だった。知っている土地なら立体感のある描写ができそうだ、という単純な発想からだった。

けれど私の知る街をそのまま書くとなると、ストーリーと食い違いが起こる気がした。

私が想定していた「さくら」の中学受験事情は、地方都市のそれとは少しニュアンスが違ったのだ。私立中学受験における選択肢が多く、交通網も発達している大都市のイメージを既に固めてしまっていたので、馴染み深い地方都市を参考にするのは難しかった。

なお、学生時代を過ごした京都という手も存在した。けれど言葉のハードルが高いのと、その土地だからこその強みをストーリーに活かせそうにないという理由で却下となった。

そうなると、自ずと場所は絞られる。私の中には答えが生まれつつあった。次にするべきことも決まった。

「現地に行こう」

 

 *

このあと、私がモデルにした実在の街について記述する。

モデルの街について言及するのはこれが初めてだ。機会を持てずに書きそびれてしまっていたが、いつか書いておきたいとは思っていた。

読者の方の中には、すでにご自身の中に一定の世界観を持たれている方もいるかもしれない。もちろん、正解も不正解もない。それぞれ抱いたイメージが答えであることに変わりはない。

ただ、今回の話でイメージを壊したくないと思われた方がもしおられたら、ここでブラウザを閉じることを推奨する。

これはあくまでも「裏設定」の位置づけのつもりだ。そんな感じだったのか~程度の気軽さで捉えていただけたら嬉しい。

 

 *

 

作品の舞台を決めた翌週、私は東京を訪れていた。日帰りの取材旅行だった。

この頃の私は「見聞きした物事しか書けない」「存在しないと書けない」と思い込んでいるフシがあった。この考えは創作をする上で致命的なのだが、現代の街をモデルにする以上は実物を見ておかないと心配だったのだ。(ちなみに、この作品以降で全く見たことのない世界設定に挑んではいる)

東京駅から中央線に乗り換え、しばらく揺られたのちに降り立ったのは武蔵小金井駅だった。私自身とのゆかりこそない街ではあったが、もっともイメージにぴったり合うのがここだった。

私は事前のインターネット調査で、駅周辺のお店環境、小学校の場所、駅前学習塾の有無などの観点から都内の街をいくつか比較していた。「さくら」が受験する中学は別の街にある実在校をモデルにしていたので、そこまでの交通アクセスと通学所要時間も考慮に入れた。室本一家が暮らしている家のイメージを固めるために、物件情報サイトで駅からの距離と間取り図も調べていた。

正直、やりすぎかもしれない。作中で街の名前を出すことはなかったので、そこまでしなくてもよかったとも思う。想像でいくらでも補える情報ばかりなのだから。

けれど私は、この場所に「さくら」たちが存在している前提で街を歩きたかった。私の頭の中で作り出されたキャラクターを踊らせるというよりも、生きている彼女たちを写し取るように描きたかった。

それまでの私は、長編・短編にかかわらず、小説と呼ばれる創作物をひとつしか作ったことがなかった。だから、と言っていいのかはわからないが、こういった方法しか思いつかなかった。経験も知識もない私が作品を生み出すためにできることは、自分の想像に対して誠意を見せる「取材」しかないと信じていた。

 

武蔵小金井の街を数十分ほど散策したあと、私は駅前の成城石井で6個入りの卵を買った。「さくら」が両親に振舞うオムレツを作るために買ったものだ。少しだけ値段のいい、特別な卵だった。都内に住む友人に力を借り、情報をもらって手に入れたものだった。

けれどこの卵、実は私が暮らす静岡でも手に入るものだった。それを知ったのは執筆を始めてしばらくたってからだった。成城石井は静岡駅にもあるのだ。店頭で同じ卵を見つけたときには苦笑いした。

割れる心配をしながら新幹線で持ち帰ったのに……と、私の要領の悪さを露呈するエピソードが東京からのお土産に加わった。

とはいえ、現地に行ったことでイメージはこれ以上ないほど鮮やかに広がっていた。行ってよかった。見聞きした記憶が重要な資料となり、自信も芽生えた。

こうして本文を書くための準備がようやく整い、私は執筆に取りかかることとなる。