『殻割る音』という名の卵が孵るまで⑧
また一日あけてしまった。
引きこもりがひとりで遠くに出かけたので、やることをやったような気分になってブログに手をつけないまま夜を迎えてしまったのだった。
今後、短くてもなにかは更新していけるように心がけたいとは思っている。
前回は章タイトルの話をしたが、今回は作品そのもののタイトルに触れよう。
『殻割る音』というタイトルについては、第一回おいしい小説大賞最終選考時の審査員選評にて小山薫堂先生が触れてくださっている。
〈タイトルを読んでいちばん期待した作品でした。〉
各先生方から改善点の指摘を頂く中にこの言葉を見つけ、私はほっとした。
期待感を持ってもらえるタイトルに対して、内容が追いつけていなかっただろうことは今後の課題だ。けれど褒めてもらえたことは素直に嬉しく、自信につながったからだ。
そして、ほっとしたのには別の理由もある。
実はこの作品、『殻割る音』ではない名前で応募していた可能性があったのだ。
当初、私は作品に『黄金色の稜線』という仮タイトルをつけていた。
黄色いオムレツの曲線を山の稜線になぞらえ、夜明けを迎えて黄金色に輝くさまを家族の再生と重ねたイメージを持って書き進めていた。どこかしっくりこないと思いつつも、伝えたいテーマの表現は一応できている気はしていた。
けれど本文の執筆が終盤に差し掛かっても、この文字列に対してはどうもピンとくるものがないままだった。主人公の年齢から考えると印象が大人びているし、書いている私は理解できていても客観的に見るとなんだか抽象的すぎるし、なにより食の小説だとわかりづらい面が強い。なにより、私自身が納得していない。
妥協してはいけない。そう思った私は完全に別のタイトルにしようと決めた。それからしばらくは執筆とタイトル探しで頭がいっぱいになった。
タイトルに『音』の要素を入れるアイディアは、早い段階から存在していた。
主人公の「さくら」はおいしいものを食べると自然と音楽を思い浮かべる子だ。幼い頃から家庭内でクラシックに触れており、自室にはピアノがある。その設定は物語の全編を通して欠かすことなく表れている。
それをタイトルに活かさないのはもったいないと遅まきながら感じ、音にまつわる単語を片っ端から探した。
メロディー、リズム、旋律、フォルテシモ、スコア、クレッシェンド――次第に私の脳内は感覚麻痺を起こし始めた。言葉を見つけ、新しい組み合わせを生み出すたびに必要以上にこんがらがり、伝えたいテーマからどんどんかけ離れていく。
産まれる我が子の名付けをするときに陥ったループと同じだった。詰めたい要素が多くなりすぎて、大事な本質を忘れそうになっていたのだ。
こんなに悩むくらいなら仮タイトルのままでいいのでは? とも思った。けれどもう少し踏み込めば見つかるという予感もあった。迫る締切への焦りにも追われつつ、なにかないかとひたすら考えを巡らせた。
ここで本筋から少し逸れた話をさせてもらいたい。
私には短所がある。猪突猛進のごり押しパワープレイでなんとかなると考えがちなところだ。
押して押して押しまくれば解決すると思って、引き際を見失うところがある。要はバランスのいい立ち回りができないのだ。
子どもの頃からそうなので、そういう性分なのだろう。これはこれで武器になる場合もあるが、こと思考においてはよろしくないという自覚は少なからずある……あるのだが、どうにも下手で困る。
そしてこのときもそうだった。言葉を探せばなんとかなると思い込んでいた。引いてみればいいと気づくまでにかなり時間がかかってしまったが。
タイトル決めの話に戻そう。
音楽関連の用語で頭がパンクしそうになった私は、正直疲れていた。短いタイトルひとつ思いつかない自分のセンスのなさに呆れつつ、考えるのを一旦やめようとした。
そのとき、ふとシンプルな考えがよぎった。
「もうそのまんま『音』でよくない?」
音楽用語である必要はなく、ただの『音』を修飾すればいいだけなのではないか? その言葉が物語を表現できればうまくまとまるのではないか?
走り回っているあいだに見つけられなかった花が、疲れて座り込んだら目の前に咲いていた――そんな感覚だった。
こんな単純なことに気づかなかったのが信じられなかった。難しくすればいいと思考ロックされていたことを反省しつつ、遠回りしながらも立ち返れたことに感謝した。
この『音』をどう彩るか。その答えは案外早く見つかった。
卵料理は殻を割らなければ始まらない。そして「さくら」の成長も卵と同じく殻を割るものだ。物語そのものがオムレツであると決まったところに、タイトルにもダブルミーニングを持たせられるなら最高だと思った。
そうしてようやく名付けられたのが『殻割る音』だった。
このタイトルについては、読者の方々からもおおむね好評をいただいているようだ。
妥協しないでよかったと心底安心している。同時に、タイトル付けの難しさも身に沁みて感じている。
私の心にはどこかかっこつけて難しくしたがるところがあるが、これからの執筆活動でもシンプルながら伝わりやすいタイトルを心がけようと思う。