枝折の径に花の萌ゆ

新人作家・中村汐里による雑記。

『殻割る音』という名の卵が孵るまで⑨

このタイトルシリーズで書きたい内容もおおよそ書いてきた感がある。

本当は語りたいことが山ほどあるが、せめて10までに……という気持ちもある。

なので、あと2回で孵化までの話は締めようと思っている。

 

今日は主人公についてではなく、脇役の人物について少し触れたい。

『殻割る音』の登場人物の中には、実在の人物をイメージしたキャラクターも少なくない。

もっとも強く意識したのは「さくら」の小学校の担任である「聡美先生」だ。

このキャラクターは、私が小学校6年生の頃に担任を務めてくださった先生をモデルにしている。

私自身は随分と手を焼かせてしまった生徒だったが、そんな私と丁寧に向き合って教え諭してくれた。精神面での成長に大きな影響を与えてくれた恩師だ。

自分の小学校時代を思い出しながら、私は「さくら」にも同じような存在を寄り添わせたいと考えていた。

家庭内での試練(と言うと少し大袈裟かもしれないが)を乗り越えようとする子どもにとって、味方でいてくれる大人の存在は欠かせない。少し引いた位置で、客観的な視点を持てる人間が支えてくれるのは本当に大きなアドバンテージだと思う。

そのひとりが「聡美先生」なのだ。受験と並行して料理に挑む「さくら」に対して、料理の知識面でのサポートをしてくれる存在だ。

 

同じようなサポートポジションの大人はほかにもいる。「さくら」が通う学習塾の先生である「光希先生」だ。

とはいえ、こちらは小学校の「聡美先生」とは違い、あくまで受験生としての「さくら」を勉強面で支えてくれている。「さくら」に足りない部分の自覚を促し、受験に対する覚悟を確かめさせてくれる人物だ。

ちなみに、こちらのキャラクターは実際に塾講師をしているTwitterの相互フォロワーさんをモデルにさせていただいた。

中学受験の経験がなかったのだが、彼女からリアルな塾の話を聞かせてもらえたことでストーリーの描写を広げることができた。今一度、改めて礼を言いたい。

 

明確なモデルを持つキャラクターはもうひとりいる。「さくら」の祖母である「恭子」がその人物だ。

彼女は私の娘の祖母――私の義母にあたる人だ。〈Step6〉にしか登場しないのだが、彼女を描くとき私は常に義母を思い浮かべていた。「さくら」としての目線と「泉」としての目線の両方から、私は「恭子」を描いていた。

「恭子」にとって「泉」は息子と家庭を持った嫁という扱いにはなるが、「恭子」は息子一家と一定の距離感を(いい意味で)保ちながら確かに家族として迎え入れて見守る懐の深さがある。

そんなに理解のある夫の母なんて……と感じる方もいるのかもしれないが、嫁の立場の私がいわゆる姑である「恭子」を見るときには、ほとんど現実そのままを映したようなものだった。

さらに、私自身が孫の「さくら」と同じ目線に立った場合なのだが、私は自分の中に抱いた「理想の祖母」という存在とその通りには向き合えなかった記憶を持っている。きっと愛されていたとは思うのだが、諸々の事情があって素直に甘えられる相手とは言えなかった。

その想いの昇華先が「恭子」でもあった。せめて作品の中でくらい、孫が素直に甘えられる祖母がいてもいいだろう、という気持ちをどうしても拭えなかったのだ。

 

「聡美先生」も「光希先生」も「恭子」も、読む人によっては相当の違和感を覚える人物になっているかもしれない。少々過剰なほどに「さくら」に対する理解を持っているから。

けれど、その3人はみな私の理想を強く反映した「大人」たちだ。大人から認められたいという願望を抱きながら歳だけ重ねてしまった私が望んだ存在なのだ。

 

筆者の感情を叩き込める小説というのはいいものだな、と、執筆当時ぼんやり思っていた。今でもそう思っている。新しい作品を書くなら、感傷を乗せずにはいられないだろう。

入れ込みすぎてしまうのも少々問題だろうが、実感のこもった描写ができたことも事実だ。選考時に評価のポイントに乗ったのかはわからないが、少なくとも魂は乗ったのかもしれない。

そういう小説を、もっと深い描写で書いていける作家になりたいものだと思っている。